扉の向こうは極寒の冷気が渦巻いていた。
それも今までよりも一段低い気温。 バドじいさん謹製の護符がなければ、眼球まで凍ってしまいそうだった。白と青とが混じり合って凍える冷気になっている。
吹雪のように吹き渡る風がふと、人の形を取った。青白い肌。
銀の髪。 白目と区別がつかないほどの薄い色の青い目。扉に描かれていた女性が長い髪をなびかせて、吹雪の虚空に立っている。
氷の彫像と見まごうほど、色素というものが抜け落ちた姿。彼女は腕を伸ばした。雪を固めたような白い腕を。
すると吹雪が刃のような鋭さで俺たちに向かって吹き付ける。 これほどまでの威力では、さすがに護符だけでは防ぎきれない。 凍傷になってしまう!「喰らえ!」
俺は荷物袋からポーションの瓶を取り出して投げつけた。
レナ特製のポーションは吹雪の刃を受けて、瓶が割れる。 けれども液体は凍りつかず、宙にぶちまけられると同時に発火した。「よし、さすがはレナの火炎瓶だ!」
炎は壁のように広がって俺とクマ吾郎を守ってくれた。
氷の女は炎に戸惑っている。
こんな寒い部屋の中で熱い炎なんてありえないものな。この隙を見逃す手はない。
俺はクマ吾郎に目配せしてさらにポーションを取り出した。 火炎瓶を部屋の数カ所に向けて投擲、炎の柱で氷の女を囲む。 吹雪の風に熱がまじる。そして俺は炎を切り裂くように、女めがけて剣を振り下ろした。
剣を握る手にはバドじいさんの護符。 一時的に炎の属性を剣に付与している。氷の女は凍えた盾を作り出し、俺の攻撃を受け止めた。
その側面に回り込んでクマ吾郎が爪を振るう。 長い髪が引きちぎられ、渦巻く冷気になって散った。「ガウ!?」
追撃しようとしたクマ吾郎が声を上げた。
見れば彼女の爪が凍りついている。 俺の剣もいつの間にか氷の女王が俺の顔をのぞき込むようにして言った。「それで、どうするの? 永久氷河の勾玉、いる? いらない?」「いる」 危険があるにしろ、手放すには惜しいシロモノだ。「おっけー。じゃあこれは、今日このときからお兄さんのもの。大事に使ってね」「どうやって使うんだ?」「手に持ってエイッと念じればいいよ」 いい加減すぎる!「……もう一つ。この秘宝はパルティアに狙われている。俺が手に入れたと分からないよう、目くらましとか幻術とか、そういう効果の魔法があれば付与してほしいんだが」「いいけど、ただ持っているだけならごまかせるけど、使っちゃったらバレると思うよ」「それでいい。頼む」 氷の女王の手にある勾玉が淡く光った。 ふわりと銀色のヴェールをかぶったようになる。これが目くらましの魔法なんだろう。「はい、これでよし!」「ありがとう。使うときはよく考えてからにするよ」「うん、そうして。……それで、もう帰っちゃう?」「ああ。ここは人間の俺には寒すぎるからな。熊にも」「ガウ」 俺とクマ吾郎が言えば、彼女は少し寂しそうに笑った。「そうだよね。じゃあ、帰り道は晴れにしておくから。……雪の民も開拓村の人間たちも、あたしの庇護下にある。自然の法則を変えるほどは守れないけど、なるべく気に掛けておくね」「助かるよ」 俺はうなずいてきびすを返す。「またね、お兄さん! いいえ、ユウ! 今日は久しぶりにピンチになって、楽しかったよ!」 さすがは神様、名乗っていなくても俺の名前を知っている。 俺は振り返って手を振った。 彼女は笑顔で手を振り返してくれる。 それが、守護神様との出会いと別れだった。 氷の女王の言葉通り、下山の間はずっと晴れの天
「あーあ、びっくりした! お兄さんと熊ちゃん、すんごい強いー!」 そう言って立ち上がったのは、小さな少女だった。 せいぜい十歳とかそんなものだろう。 その姿は氷の女を小さくしたもの。 唯一以前と違うのは、髪が肩くらいの長さで切りそろえられているくらいか。「まさか、あたしが負けるなんて。この|氷の女王《アイスクイーン》様が」 やれやれ、と手を広げている。「それで? お兄さんは何が望み? この北の土地でなら、あたしはけっこう強い力を使えるよ」「望み? まるで神様みたいなことを言うんだな」 俺が皮肉っぽく言うと、彼女はほおをふくらませた。「神様だよ! 北の土地限定だけど。この山脈と雪原の守護神だもん」「だもん、とか言われても説得力ないぞ」「なにおう!」 氷の女王はぷんすか怒っている。 まあこれ以上からかっても仕方ないので、本題に入るとしよう。「秘宝があると聞いたんだが、どういうものなんだ?」「秘宝? 永久氷河の勾玉のこと? それならこれだけど」 差し出した手のひらの上に、青白い勾玉が浮かんだ。「これは永遠に溶けない氷でできているの。ちょー強力な氷魔法が使えるようになって、北の土地であればあたしの力の一部を使えるよ」「ちょー……」 だめだ、この子のノリについていけない。 俺は諦めて真面目に聞いた。「お前さんの力の一部とは?」「んー、天候の操作とか、気温の上下とか。あとはこの土地に住む魔物たちを従えられる」 それは大したものだ。 天候や気温に干渉できるとは、神を名乗るだけある。 俺は改めて青い勾玉を見た。 子供の手のひらサイズの大きさで、丸い頭に尻尾のついた形。 ……やはりパルティアの謎の洞窟で見たくぼみと同じだ。「お兄さんは勝者だから、これが欲しければあげるよ」「うん&
扉の向こうは極寒の冷気が渦巻いていた。 それも今までよりも一段低い気温。 バドじいさん謹製の護符がなければ、眼球まで凍ってしまいそうだった。 白と青とが混じり合って凍える冷気になっている。 吹雪のように吹き渡る風がふと、人の形を取った。 青白い肌。 銀の髪。 白目と区別がつかないほどの薄い色の青い目。 扉に描かれていた女性が長い髪をなびかせて、吹雪の虚空に立っている。 氷の彫像と見まごうほど、色素というものが抜け落ちた姿。 彼女は腕を伸ばした。雪を固めたような白い腕を。 すると吹雪が刃のような鋭さで俺たちに向かって吹き付ける。 これほどまでの威力では、さすがに護符だけでは防ぎきれない。 凍傷になってしまう!「喰らえ!」 俺は荷物袋からポーションの瓶を取り出して投げつけた。 レナ特製のポーションは吹雪の刃を受けて、瓶が割れる。 けれども液体は凍りつかず、宙にぶちまけられると同時に発火した。「よし、さすがはレナの火炎瓶だ!」 炎は壁のように広がって俺とクマ吾郎を守ってくれた。 氷の女は炎に戸惑っている。 こんな寒い部屋の中で熱い炎なんてありえないものな。 この隙を見逃す手はない。 俺はクマ吾郎に目配せしてさらにポーションを取り出した。 火炎瓶を部屋の数カ所に向けて投擲、炎の柱で氷の女を囲む。 吹雪の風に熱がまじる。 そして俺は炎を切り裂くように、女めがけて剣を振り下ろした。 剣を握る手にはバドじいさんの護符。 一時的に炎の属性を剣に付与している。 氷の女は凍えた盾を作り出し、俺の攻撃を受け止めた。 その側面に回り込んでクマ吾郎が爪を振るう。 長い髪が引きちぎられ、渦巻く冷気になって散った。「ガウ!?」 追撃しようとしたクマ吾郎が声を上げた。 見れば彼女の爪が凍りついている。 俺の剣もいつの間にか
北の土地でも最北端の険しい山の上。その頂上に氷の塔は建っている。 氷河の塔は透き通る氷でできていた。 薄青い氷が何層にも重なって、神秘的な美しささえ感じる。 入口の扉は複雑な紋様が彫刻されてる。一体誰が、こんな場所にここまでの建物を作ったのだろうか。 雪の民たちには近くでキャンプをしてもらって、俺とクマ吾郎は塔に入った。 氷の塔は美しい外観に対して、内部は極悪仕様のダンジョンだった。 外から見えた以上に魔物の数が多く、しかも手強い。極低温の環境に加えて、氷属性の魔物が闊歩している。 何も対策を取っていなければあっという間に凍死しただろう。「バドじいさんの護符はさすがだな」 俺はふところに持った炎の護符を触った。 これまでの登山でも世話になった温熱を発する護符で、半永久的に効果がある。 人肌程度の温度がずっと続くから、持っているとぽかぽかと暖かい。「ガウ~」 クマ吾郎も同じものを腹に取り付けてある。彼女は天然の毛皮があるけれど、それでも足りないくらいの寒さなのだ。 温熱だけでなく、氷や冷気の攻撃を防ぐ護符やアクセサリーもたくさん用意してきた。 氷河の塔は超高難易度ダンジョンではあるが、名前や見た目からして対策が取りやすい。まず間違いなく寒さと氷の魔物が相手になると思って、事前にしっかりと準備をしてきた。 これがあのパルティアの謎の洞窟みたいのだと、どんな敵が出るか分かったものじゃないからな。「グルルッ!」 クマ吾郎が爪を一閃させて、アイスドラゴンの首をはねた。 血しぶきは上がるはしから凍りついて、空中で奇妙な形で固まっている。 アゴ下の逆鱗がちょうどいい感じに無傷だったため回収しておいた。逆鱗は竜鱗の中でもレア部位なのだ。 世界最強の熊ことクマ吾郎の快進撃で、俺たちは全く無傷である。 最初は殺気をあらわに襲いかかってきた氷の魔物たちも、今では恐れおののく有り様だ。氷の壁の陰から顔をのぞかせて、目が合うと逃げていってしまう。
収穫祭が終わって、秋も後半になった。 冬、雪が降る前に片付けておきたい用事がいくつかある。 まずは畑の再整備と水路の構築だ。 今年も一応、区分を作って作物を植えたのだが、実際にやってみると過不足がある。 増やしたい作物や、逆に当面は十分なものなどがあったので見直して、畑を整備したい。 畑そのものの拡張も考えている。 今年は手作業で水やりをしたが、今後は追いつかなくなるだろう。 なので近くの川から水を引いて灌漑《かんがい》用の水路を作りたい。 農作業が終わって雪が積もる前の今がチャンスだ。収穫作業が終わって村人の手は空いているし、雪が積もってしまえば土木作業は難しい。 さっさと目鼻を付けてしまおう。 パルティアで土木技師を雇って村まで来てもらった。「こりゃあ見事な畑です。まさか北の土地でこんなに整った畑を見られるとは」 技師は村を見て驚いていた。 俺は言う。「まだまだ始まったばかりだよ。これからもっと発展させて、暮らしやすい村にしたいんだ」 技師に工事の計画を作ってもらって、人足の村人を集めた。 村人たちは栄養がいきわたり、農作業で鍛えた体をしている。 技師はまた驚いていた。「奴隷を集めて作った村だと聞いていたので、みんな痩せた死にかけばかりだと思っていたのですが。開拓村の農民で、皆がこんなにいい体をしているなんて、パルティアでも珍しいですよ」「しっかり食って、働いてもらってるからな。この前も収穫祭が大賑わいだった」 収穫祭の話を聞かせれば、技師はため息をついた。「どうせならもう少し早く呼んでくれればよかったのに。そうしたら、私も収穫祭に参加できたのに」 恨みがましい目で見られて苦笑するしかなかったよ。 短期間の突貫工事をしているうちに冬になる。 雪が積もるまで粘って工事を続けて、何とか一応の形になった。整然と区画分けした畑と水
「変わった味だ。芋の他に何を使っている?」「マヨネーズです。卵に酢と油を加えた調味料だよ」「ほう……。お前はいつも新しいものを作るのだな」 イーヴァルはなんかしみじみしている。「北の土地でこれほどまでに豊かな実りを実現するとは。正直、上手くいくか疑っていたのだ。今となっては恥ずかしい」「いえいえ、雪の民の協力があってこそですよ」 本当にそうだと思う。 特に最初の冬は、雪の民に肉をわけてもらって狩猟を教えてもらったおかげで生き延びたようなものだ。輸送頼みでは量が限られていたし、何より村人同士や雪の民との絆が生まれたから。「これからも力を合わせていきましょう」 俺が言うと、エミルが力強くうなずいた。「はい! 僕もがんばります!」「ああ、こちらこそ頼む」 彼らは他の店に行くからと去っていった。 広場の店はどこも盛況で、みんなコインを握りしめてあちこち物色している。 自分のお金で買い物する機会など、奴隷たちにはなかなかなかっただろう。雪の民もそうだ。だからだろう、どの人も楽しそうだった。 今回は食べ物ばかりだが、そのうち名物になるようなものも作りたいな。冬の間の農閑期の手仕事として、収入を確保できれば一石二鳥だ。 そのうち何か考えてみよう。 やがて日が傾いて、夕焼け色に空が染まり始める。 みんな満腹で満足した顔をしていた。 店を片付けた後、広場に大きく薪を組んだ。 火をつけるとあかあかと燃え上がる。気分はキャンプファイヤーだ。 やっぱ、祭りの締めは焚き火をしないとな。 少し肌寒い風が吹き始めた夕暮れ、人々は明るさと温かさを求めて火の回りに集まってくる。 酒が配られると、自然、誰かが歌い始めた。 奴隷たちはほとんどがパルティア人だけど、出身地域はばらばら。そのため故郷の歌もさまざまだった。 テンポのいい上調